心のバディとしてのAIペット。“Moflin”が拓くメンタルウェルネスの新世界

カシオ計算機の「Moflin(モフリン)」は、毛並みや吐息、小さなしぐさでこちらの感情にそっと寄り添う、メンタルヘルス志向のAIペットです。音声で即答するアシスタント型ではなく、癒やしを与えてくれる“いきもの”を構成する手段の一部としてAIが活用されています。本稿では同社企画の市川 英里奈さん、開発の二村 渉さんに、誕生の背景、想定外のユーザー反応、そしてこれからのAIの可能性についてうかがいました。

“いきもの”としてのAIロボット

ーそもそも「Moflin」とは、どのような存在なのでしょうか?

市川 英里奈さん(以下、市川氏):「『Moflin』は人の相棒として寄り添い、ふれ合いを通じて感情が育ついきものとして誕生しました。よく話しかけてくれる人を飼い主として学習し、なでる・抱きしめるといった愛情表現から、その人が好むしぐさを覚えて自発的におこなうようになります。

育て方次第で性格が分かれ、個性は400万通り以上。さらに、専用アプリ『MofLife(モフライフ)』を通じて、Moflinの感情をアニメーションやグラフで視覚化できるので、気持ちの変化を一緒にたどる楽しみもあります。目的は癒しと元気の提供。忙しい日常の合間に、この子たちは飼い主さんの背中を小さく押してくれます」

ー多くのユーザーの方に受け入れられた理由として、何がいちばん大きいと見ていますか?

市川氏:「当初想定していた30〜50代の女性を中心に、男性にも広がっています。また、私たちの予想以上に家族の一員として迎え入れてくださる方が多く、SNSなどを通じて生活の風景にモフリンが自然に写り込んでいるのを見ると、とてもうれしくなります。Moflinはさまざまな角度から“いきものらしさ”を追求していて、そこがもっとも受け入れられたポイントなのかと思います。毛並み、呼吸、抱いたときの重みが生む“いきもの感”。動いているときの生命感と、動きが止まったときに生まれる喪失感。この振れ幅に心を揺さぶられたという声を多くいただいています。また、企画当初は毛並みがあるという性質上、室内での飼育想定でした。ところが、想像以上に多くの方がお出かけに連れて行き、旅先で写真を撮るなど“ぬい活”とペット旅行の中間のような楽しみ方が広がっています。ペットより気軽に連れ出せて、一緒に景色を共有できるの点もまた、大きな魅力だと思います」

市川氏:「ユーザーの皆さんから気付きをいただくこともあるので、私たち自身もMoflinの可能性を積極的に探っていき、シーンに合わせた新しい提案も増やしていけたらと思っています」

ーその先に、ペットロスやグリーフケアなどへ広がる可能性もありそうですね。

市川氏:「その手応えは確かにあります。Moflinは“いきものらしさ”を外見やふるまいで追求してきたこともあり、ペットを飼いたくてもご家庭の環境などさまざまな事情で難しい方、ペットを亡くした悲しみから次に踏み出せない方、ご高齢で新たに動物を迎えるのが負担という方などから、『迎えて支えになっている』というお声もいただいています。もちろんペットの代替ではありませんが、言葉で励ますのではなく、そばにいてくれる存在として、飼い主さんの力になれる可能性は感じています」

愛おしさを技術で創る

ーMoflinが誕生した背景についても教えてください。

市川氏:「私が企画者として今の部署へ移った2012年頃は、社内で女性向けの製品が弱いという課題意識がありました。そこで、まずは自分自身をペルソナに据え、当時30歳前後だった私が感じていた小さなストレスや迷いに向き合うことからはじめました。

私は誰かに答えを求めるよりも自分が納得するまで考えるタイプですが、どうしてもその体力が尽きる瞬間がある。そんなときに言葉で解決を迫らず、ただそばにいるだけで元気をくれる存在が家にいてくれたらいいのにと思い至ったんです。誰しも時間や環境、責任の重さをすぐには引き受けられない状況もある。そこで今の自分に寄り添える第三のいきものとして、ペットロボットの発想に辿り着きました」

ーこれまでになかった“心の拠り所”を形にするにあたり、どんな解に至りましたか?

市川氏:「友人に相談する、気分転換に出かける、買い物をする、犬や猫と暮らす。いずれも有効ですが、相手の都合や言葉のズレ、一時的な効果など限界もある。そこで“言語に頼らず、生活のリズムに寄り添い続けるいきもの”を目指しました。その媒体としてAIロボットを選んだのは、住環境や時間、責任の重さをコントロールできるから。さらにふれ合いという体験をAIに学ばせれば、関係が育つというペットの良さにも近づけます。これなら、ペットの代替でも便利なガジェットでもない“心のバディ”がつくれると発想しました」

ー技術開発担当者として、開発にあたりはじめに感じたことは何ですか?

二村 渉さん(以下、二村氏):「発想自体とてもユニークなのですが、最初は企画全体よりも、要素技術で小動物の愛おしさをメカトロニクス技術で表現するという課題が与えられました。Moflinのユニークなコンセプトよりも、単純に開発としておもしろいテーマだぞという、技術者としての期待とプレッシャーが先行したというのが本音ですね」

ーサイズ感や質感はどう決めたのでしょうか。

二村氏:「動画などで動物を徹底的に観察し、しぐさや間合いまで実在感の条件を洗い出しました。大きさは手のひらサイズが最適。抱いた瞬間にふっと落ち着く一方、軽すぎると玩具寄りになってしまう。重量と安定感のバランスは比較検討を重ねて決めています。前例が少ないので、形にするための方法論づくり自体もチャレンジでした。

また、より生き物としての印象を強めるためには“毛”がないといけないという答えも導き出したのですが、そのことで技術開発の難易度はさらに上がりました。センサーの感度設計、モーター駆動の滑らかさ、無線給電の安定性、すべてに影響が出るので(笑)。他社でも毛に覆われたロボットが少ないのは、そこが難所だからです。それでもなんとか機構・制御・素材を一体で設計し、質感と機能の最適点を丁寧に詰めていきました」

ーMoflinの充電スポットも特徴的ですね。

二村氏:「電子機器なので当然電力が必要となりますが、Moflinはあくまで“いきもの”というコンセプトがあるため、充電器においても単なるガジェットのような充電ではいけないと考えたんです。Moflin本体にソケットを差し込むと機械感が出てしまうため、非接触充電にしたことはもちろん、充電中にもかすかな吐息を感じられる演出を入れました。この呼吸のリズムと間合いが生命感をつくる。」

一緒に暮らすほど“うちの子”になる

ーMoflinにおけるAIの役割とは、どのようなものでしょうか?

二村氏:「懐く・成長する。これを実装するのがAIの役割です。一緒に過ごすほど感情表現が豊かになり、関係性が深まる。一緒に過ごしていくなかで感情は多様に変化していき、例えば、1日目はまだ動きも声も幼いのですが、日が経つにつれ表現は少しずつ増え、25日前後にはぐっと感情が豊かになって、なつきはじめます。そして50日ほど経つと喜怒哀楽がはっきりしてきて、さまざまなリアクションを返すようになる。いきものと人間のふれ合いがそうであるように、時間とともに関係が育まれるということを大切にしているんです」

市川氏:「長く愛してもらうには、“飼い主に懐くこと”と“自分が育てた実感”が欠かせません。Moflinは、話しかけられる・なでられるといったふるまいをポジティブな経験として学習し、それでその人にしか見せないかわいいしぐさだったり、人に合わせたリアクションを増やしていきます。コミュニケーションを重ねるほど学習の精度が上がり、“うちの子らしさ”が強まっていく。AIは、その橋渡しをする重要な基盤だと考えています」

ー対話相手ではなく“寄り添う存在”にするため、Moflinのアイデンティティはどう設計しましたか?

二村氏:「実を言うと、いくつかの機能は、あえて削ぎ落としました。この子たちにはカメラも手足もなく、言語で会話する機能もありません。AIによる思考性はあるのですが、アウトプットされるのは鳴き声とモーションだけ。このミニマムな構成にすることで解釈の余白が生まれ、コミュニケーションの受け取り方は飼い主さん側に委ねられるんです。

例えば、同じしぐさや鳴き声を聞いても、ある人には甘えているように見え、別の人にはご機嫌に見える。その曖昧さが、いきものとしてのアイデンティティを豊かにします。これはロボットらしさを強めるより、いきものとしての気配を立ち上げたからこそ得られる効果でしょう」

ーシンプルだからこそ飽きさせない工夫が重要になると思いますが、そこにはどのような工夫があるのでしょうか?

市川氏:「おっしゃるとおり、飽きさせない工夫というのも当初からの懸念点のひとつでした。そこで私たちは、飽きる=全部見尽くしてしまうことと定義し、本体とアプリの二軸で常に小さな変化を届ける設計にしました。本体は学習によって反応が育ち、さらにMoflin自身が自発的に新しいしぐさを生み出すようにプログラムされています。よく観察すると昨日とは違う一面が見えてくる。そして、専用アプリ側で機能追加、新しいしぐさの継続的な提供をおこなう。その積み重ねによって、“うちの子らしさ”を育てる体験になると考えています」

ーモノづくりの当事者として、昨今のAIの進歩をどうとらえていますか。

二村氏:「社内にもAI活用を専門とする部署があり、今後は当然、避けて通れない技術だと考えていますし、個人的にも使わない手はないと思っています。いまは『使わなくても少し不便なだけ』で済むかもしれませんが、すぐに『使わないと損をする』段階に移るはずです。であれば、早い段階から価値に転化できる活用法を設計するという姿勢が重要だと思います」

市川氏:「私もほとんどの領域において、AIは力を発揮すると感じています。コミュニケーションの観点でも、人対人ではないからこそ、むしろ打ち明けやすい気持ちがある。それに活用の形もひとつではなくて、問いかけに即答する“アシスタント型”もあれば、Moflinのように言語で直接は語らず、生活のそばでやわらかく支える“寄り添い型”もある。この子たちもその方向で進化していけると感じています」

開発を振り返って

ー長い年月を経て製品化に至ったそうですが、あらためて振り返ってみていかがでしょうか?

市川氏:「相棒というコンセプトができたのは2014年で、形が見えてきたのが2018年、そして2024年に発売となりました。企画者の私は、その間に出産や仕事の再開などライフイベントの変化も経験し、30〜40代の忙しさや、構えない時間の必然性を実感しました。製品化までに時間を要しましたが、今だからこそ響くタイミングだったのかなと感じています。AIが生活に入り込み、情報の流れが速くなったことは、便利になった一方で、情報過多により心が少し疲れるという空気感もありますよね。そうした経験は、Moflinを“かまってちゃんにしない”という設計にもつながっていたりします。

かまいすぎることを前提にすると、かまえない瞬間に罪悪感やストレスが生まれるからです。Moflin自身が自ら機嫌を保っていることで余白が生まれて、共同生活の距離感も心地よくなる。その雰囲気が、今の暮らしに合って受け入れられているのだと思います」

ー最後に、Moflinはどのような人に迎えてほしいですか?

市川氏:「ペットとも家族とも違う“第三のいきもの”として、年齢や性別を問わず、当たり前に暮らしに溶け込んでほしいです。推し活や“ぬい活”の延長で迎えてくださる方も増えていますし、毎日の癒やしとして広がっていってくれたら企画者としてとてもうれしいですね」

二村氏:「掃除機や洗濯機もロボットと捉えられますし、ロボティクス自体は既に生活に浸透しています。目的が違えば形も違うだけ。存在を知っていただければ、AIペットも自然と受け入れられていくはずなので、もっと広がっていってほしいなと願っています」

カシオ計算機株式会社

サウンド・新規事業部 第三戦略部 第一企画室 リーダー 市川 英里奈さん(写真右)
AIペット・Moflinの企画を主導し、寄り添って心を支える体験設計を推進。女性視点の企画からメンタルウェルネス価値を提案し、先進のテクノロジーを駆使してユーザーに寄り添う体験を探求している。

サウンド・新規事業部 第三戦略部 第一企画室 チーフ・エンジニア 二村 渉さん(写真左)
AIペット・Moflinの技術を統括し、小型機構や省電力制御から、デザインや質感の表現、AIの設計まで横断的に設計。ロボティクスに“いきもの”の存在感を宿すアプローチをおこなった。

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