制作担当者が語る、大阪・関西万博「null²」の体験演出とその舞台裏

早くも開幕から3カ月が経過した、2025年大阪・関西万博。そのなかで一際異彩を放つパビリオン「null²(ヌルヌル)」では、来場者が自分自身の分身と対話する没入型の体験が話題を呼んでいます。メディアアーティスト・落合陽一氏の主導のもと、建築や映像、AIなど多分野の技術を集結して完成したこの「null²」。その制作には、どんな裏話があったのでしょうか。映像をはじめ、体験演出を作り上げたWOWディレクターの近藤樹氏、ディレクター・デザインエンジニアの船津武志氏、そしてAIを担当したアイリア株式会社の客野一樹に、制作時のエピソードや苦労点を聞きました。

WOWが牽引したnull2の「体験演出」

——制作においてWOWはどのようなかたちで携わられていますか?

近藤樹氏(以下、近藤氏):「クレジット上は『ビジュアルデザインおよび体験演出』というかたちですが、単に映像や音を作るだけでなく、ロボティクスやAIなどのさまざまな要素を統合し、ひとつの体験としてまとめあげる役割を担いました。「null2」はあくまで落合陽一さんの作品なので、彼の意向をどう体験として具現化するかが僕たちの仕事ですね」

——落合陽一氏の意向を、どのように具現化していったのでしょうか。

近藤氏:「落合さんとは別件も含めて8年ほど前から協働しており、日本フィルハーモニーとのオーケストラ企画で映像を組み合わせた新しい体験を何度も作ってきました。その経験を通じて、落合さんの考えや方向性を掴めるようになり、それが今回の万博にも活かせたと思っています。そのため、一見すると落合さんの“難解とおもえる意図”を制作チームにある種『翻訳』する役割も担っていました(笑)。AI担当の客野さんも同様の苦労があったと思います」

客野一樹(以下、客野):「『落合先生がおっしゃるこれって、どういう意味だろう?』と近藤さんから聞かれて、お互いに翻訳しながら理解する場面は多々ありましたね。そのなかにはいろいろな学びもあり、おもしろかったです(笑)」

近藤氏:「現場には各分野のプロフェッショナルが集まっていて、それぞれが大きな力を持っていました。WOWからは遠隔で参加していたメンバーを含めると10人近く、他社含めて純粋な内装コンテンツ制作に絞ると30人から40人が入れ替わりながら携わっていたので、それをひとつのコンテンツとして融合させるとなると、まさに潤滑油のような役割が必要です。そういった意味で、演出面でもシステム面でも、僕たちWOWがその間をつなぐような立ち振る舞いをするのが、いちばん自然でやりやすかったです」

——完成形をご覧になっての感想はいかがでしょうか。

近藤氏:「実際に体験したのは開幕初日でしたが、今の時代というか、2025年だからこそできた万博のかたちとして最高のものができたんじゃないかなと思っています」

客野:「私も『これはまさに2025年だな』って感じました。特にChatGPTの登場以降でなければ作れなかったような体験が、まるで最初から想定されていたかのような完成度でかたちになっていて、本当にすごいなと思いました。4年前の企画段階から、すでにこのかたちの片鱗があったことに驚きましたし、『落合さんは、本当はこういうことをやりたかったんだな』っていうのがすごく伝わってきました」

近藤氏:「企画段階では理解できなかったことも、出来上がってみると、なるほどという気持ちにさせてくれましたよね」

船津武志氏(以下、船津氏):「技術的なトレンドを取り入れつつ、それが単なる技術のショーケースではなく、落合さんのコンセプトにしっかり乗っかっている。やはりすごいなと感じました。メッセージは難しい内容かもしれませんが、空間や演出を体験すると感覚的に圧倒されるので、純粋に楽しめます。深く読み取ることも、純粋に楽しむこともできる。SNSでも両極の感想が出ており、その幅の広さは本当にすごいです」

柔軟性と作家性が織りなす、万博ならではの創造プロセス

——作り手として、特にこだわった点や見てほしいポイントはどこですか?

船津氏:「今回のプロジェクトチームは、各自が専門分野を持ちつつ、他の領域にも自然と関われる柔軟なチームでした。私はテクニカルディレクターとして制御システムの制作を担当しましたが、近藤さんは演出を考えながら自分でツールを作るなど、技術とデザインをまたいで動けるタイプ。皆が独立しているというより、“混ざり合いながら”進めました。

また、演出の進め方も特徴的で、さまざまな手法を試しては、『違う』となれば躊躇なくやり直すということを最後まで繰り返しました。こうした進め方は通常のプロジェクトでは難しいですが、万博という特別な場だからこそ可能だったと思います。自分たちの持つ“しなやかさ”や“余白”を活かせたプロジェクトでした。そこを感じてもらえたらうれしいです」

近藤氏:「船津と重なる部分もありますが、大きく2点あります。ひとつは、“かっこいい”や“美しい”という感覚的な部分を判断し、ディレクションする力です。単に正しく作るだけでなく、ビジュアルとして良いかどうかを感覚的に捉えて仕上げるのがWOWの強みです。

もうひとつは柔軟性です。これはWOWだけでなく、客野さんをはじめ関わった全員に共通していました。今回のプロジェクトは、いわゆる『クライアントワーク』とは異なり、落合さんを中心とした“作品づくり”に全員で参加するというスタンスでした。言われた通りに作るのではなく、皆が自分の視点や美意識を持ち、『もっとこうした方がいい』『こういう見せ方の方が伝わる』と提案しながら、いわば一緒に作品を育てていく感覚です。ビジュアル面、AIとの対話のスムーズさ、メカチームの動きのおもしろさなど、それぞれが作家としての視点で関わっていました。これがこのチームの最大の強みだったと思っています。そのような空気感も、体験のなかから感じ取ってもらえたらと思います」

——プロジェクトを進める上で、WOW社内で苦労した点や尽力したことはありますか?

近藤氏:「私は落合さん寄りの立場で現場に要求を投げることが多かったため、船津をはじめ現場のメンバーはそれを理解して具体化するのに苦労したかもしれません」

船津氏:「要求に併せてシステムの作り直しを何度も繰り返したため、『トラブルなく動き続けてくれるか?』という不安といつも闘っていました。正直大変ではありましたが、近藤さんがフラットに会話してくれたおかげで、社内チームの関係性が非常に良く、その状況をスムーズに乗り越えられました。あの空気感があったからこそ、最後までやりきれたと感じています」

——プロジェクトを終えた今の感想は?

近藤氏:「これまで、4年もの長いスパンで“作家性”を持ってひとつのプロジェクトに関わり続ける経験は正直あまりありませんでした。その意味でも、今回の万博は非常に特別なプロジェクトだったと思います。落合さんの懐の深さや、良いものを作ろうというチーム全員のポジティブな姿勢があったからこそ、特別な経験になったと思います」

船津氏:「通常の仕事では最初に明確なゴールを設定し、そこに向かって進みますが、今回は『まずはやってみよう』という空気感ではじまり、それぞれが全力で自分のパートに取り組みました。過程こそ大変でしたが、最後にすべてを組み合わせたときにしか味わえない感動がありました」

近藤氏:「これ、客野さんにも聞いてみたいですね(笑)」

客野:「船津さんの言う通り、今回は『壊しては作る』の繰り返しでした。だからこそ、段階的に完成度が上がっていくプロセスが非常に良かったですね。特に印象的だったのは、最初に現場でホールに入ったときの判断です。当初はお客さんのなかから選ばれたひとりだけがAIと対話するのを、他のお客さんが見るという形式でしたが、現場での体験クオリティが思っていた以上に高く、『これ、もっと多くの人に体験してもらいたいよね』ということで、コンテンツ密度を抑えて空間体験を重視する方向にシフトしました。これは非常に難しい判断で、近藤さんのご苦労と妥協ない詰めもあって、あの瞬間にしかできなかった展開だったと感じています。3年前の構成と比べても、最終的なアウトプットはまったくの別物で、180度違うものになったという意味でも、本当に特別なプロジェクトでしたね」

AIがもらたす新たな視点を、クリエイティブに活かしたい

——アイリアとして、今回のプロジェクトではどのような貢献をしましたか?

客野:「アイリアの主な役割は、『コンテンツを柔軟に変えられる仕組み』の提供でした。重視したのは、快適さよりも“変化に強い設計”。例えるなら、演出用のゲームエンジンのようなものです。音楽ゲームって音によって演出が変わりますよね。それと同じようなイメージで、毎日のように音が変わる——つまり、方向性に変更が出ることを想定し、初期段階からプログラムと演出データを完全に分離した設計にしました。これにより、通常なら書き直しが大変な部分も柔軟に差し替えられるようになりました。まさに万博ならではの、即応性と創造性が求められる現場だったと思います」

近藤氏:「客野さんの言う通り、本当に柔軟に設計されていて、それが非常に助かりました。AIとの会話だけでなく、映像・音・ロボットの動きなど、私たちが担当する演出要素ともしっかり連動できる仕様になっていたんです。制作途中で『こういうコマンドを追加してほしい』『こういう表現を入れたい』といった要望が次々に出てきましたが、客野さんをはじめアイリアの皆さんがしっかり応えてくれて、正直、アイリアがいなかったらこの演出は成り立たなかったと思います。それくらい心強い存在でした」

——今回のアイリアとのプロジェクトを振り返って、感じることは?

近藤氏:「プログラム関係の方々は『仕様書がないと動いてくれない』という勝手なイメージを持っていましたが、このプロジェクトはきっちり仕様が固まるものではなかったので、どう伝えたらいいか悩んでいました。しかし、実際は非常に柔軟に対応してくれて。こちらの意図を汲み取り、一緒に考えて進めてくれたのは本当にありがたかったです。あのスタンスがなければ、ここまで辿り着けなかったと思います」

船津氏:「全く同感です。AIの専門性はもちろん、展示や演出の事情、通信方式の変更など、変化の多い開発スタイルにも非常に柔軟に対応してくださいました。通常であればもっと苦労したはずの部分が、ほぼストレスなく連携できたのは、本当に客野さんのおかげだと思います。安心して任せられる存在でした」

——今後、アクセル社とはどのような連携をしていきたいですか?

近藤氏:「私たちの領域では画像生成や動画生成、音楽生成などが中心になりがちで、これらは仕事でも使いやすく即戦力になります。しかし今後はチャット機能など、双方向性のあるインタラクティブな体験が求められる場面が確実に増えると思います。さらに、クライアントやメーカーごとに特化したAI体験をカスタマイズするニーズも出てくるはずです。そういった場面においても、とても頼れる存在なので、ぜひ一緒に仕事ができたらうれしいです」

——今後、WOWのクリエイティブにおいてAIをどのように活用していきたいですか?

近藤氏:「画像生成やチャット機能を使ったプロジェクトは既にいくつか手掛けており、ツールとしてAIと付き合う姿勢は社内でも根付いてきています。ただ、WOWが大切にしているのは、『最先端だから使う』のではないということです。たとえ過去の技術でも、それが最適なら迷わず使う。逆に最新技術であっても、それが本当に良いのかどうかをしっかり見極めたうえで取り入れていきたいという考えです。

今回のようにAIを取り入れることが必然だったプロジェクトもありますが、すべてにおいてAIが正解とは限りません。AI自体は素晴らしい技術ですが、だからこそ今後も、『その技術が本当にその表現にとって必要か?』という判断基準を常に持ち続けたいと思っています」

——最後に、日進月歩で進化するAIですが、今後どのように人びとの生活に関わっていくと思いますか?

船津氏:「私自身の創作、特に映像や画像の分野では、AIを『押し出すか/使わないか』ではなく、一つのテイストや素材として部分的に取り入れる感覚で使っています。AIらしい質感を活かせば、表現の幅が広がると感じています。

また、AIが生成するものを目にすると『創作物のトレンドやベースライン』が見えてくるような気もしています。AIが生み出すものを基準に、『では、自分ならどんな表現ができるだろう?』と考えるきっかけになる。そういう意味では、AIは“相棒”であり“ライバル”でもある存在だと感じています」

近藤氏:「AIが身近になるなかで、改めて人の心は方程式で動くものではないということに気付かされました。映像やビジュアルの世界では、光の方向や素材の性質に基づいてロジックに従った正確なデッサンを重視してきましたが、AIが生成する画像や映像は、おそらくそうしたロジックに基づいていないのだと思います。

言ってみれば、AIは“感覚的にそれっぽい”ものをつくり出します。この気付きは、ビジュアルの捉え方だけでなく、私たちがこれから何かを『つくる』という行為そのものに対する考え方を変えるかもしれません。こうした変化は、視覚だけでなく、聴覚や味覚など他の感覚にも波及するはずです。これからクリエイティブにどう向き合っていくべきか、怖さもありつつ、楽しみでもある。今まさに、そんな新しい時代との向き合い方を模索しているところです」

WOW Webサイト
https://www.w0w.co.jp

写真右:
WOW inc. ディレクター 近藤樹 氏
光や風、動力といった身近にあるさまざまな現象を取り入れた空間演出やインスタレーション、映像作品を多数制作。媒体や技術の枠を超え、さまざまな要素を適切に組み合わせ・配置する多角的なアプローチを得意とする。「null²」では、演出のディレクションをしながら制作にも関わり、クリエイティブ全体を統括。

写真中:
WOW inc. ディレクター・デザインエンジニア 船津武志 氏
デザイナーとエンジニアの両方のバックグラウンドを活かし、インスタレーションや映像、ウェブサイト、データビジュアライズなど幅広い制作に携わる。ゲームエンジンからHoudiniを用いたアセット制作・空間デザインまで、ビジュアル制作における横断的な知識を柔軟に組み合わせながら、企画・演出・制作を行う。「null²」では演出のテクニカルディレクターとして、主にシステムまわりを担当。

写真左:
アイリア株式会社 客野一樹
筑波大学大学院において各種初等関数のハードウェア実装の研究で博士号を取得。独自のAIフレームワークであるailia SDKを企画、開発。現在は先端技術分野を中心にR&Dおよび事業化を行っている。

SHARE THIS ARTICLE