香水やお酒、化粧品、入浴剤など、世の中には「香り」を売りにした商品がたくさんあります。しかし、香りは抽象的である上、人によって受け取る印象も異なるため、選ぶ際にはどうしても迷いが生じてしまうものです。 嗅覚のデジタライゼーションによって新たな顧客体験を提案するSCENTMATIC株式会社が開発した「KAORIUM」は、膨大な言語表現と香りが持つ印象を取り入れたAIにより、好みの香りを見つける手伝いをしてくれるサービス。中でも、日本酒やワイン業界から熱い視線を集めるのが、ソムリエAI「KAORIUM for Sake & Wine」です。 日本酒とワインの風味の感じ方をより豊かに広げ、お酒選びをサポートするこのツールは、飲食業界にどのようなインパクトを与えたのでしょうか。SCENTMATIC株式会社 執行役員 金子量さんに伺いました。
香りと言葉が結びつけば、嗅覚はもっと進化できる
——「KAORIUM」は2021年にリリースされましたが、これまでにないサービスで、業界にとっても大きなインパクトがあったと思います。これまでどのくらい利用されているのですか?
金子さん:これまで、フレグランスやお酒を扱う専門店約600店舗にご採用いただいています。「KAORIUM」は、世の中に存在する香りを言葉で表現することで、ユーザーが言葉から香りを選び出すことができるサービスです。商品選択が難しい分野なので、マーケティングツールとしてお役立ていただいています。
——ライバルとなるサービスがない中で、なぜ「香り」にフォーカスしたのですか?
金子さん:CEOの栗栖をはじめ、僕らの根底にあった思いは、マイナスのものをゼロに近づけるものよりも、ゼロからプラスを生み出すことをしたいということでした。要は、不便を便利にすることよりも、新しい価値を作り出したいということを考えました。
そうした中で、フレグランスやアロマの市場規模が想像以上に大きくて、ポテンシャルに溢れていることを知りました。もともと日本の香りの市場は小規模でしたが、2000年代後半に北米から入ってきたダウニーが受け入れられたり、無印良品のアロマディフューザーがヒットしたり、たびたびゲームチェンジが起こりながら市場は大きくなって、今では年平均で5%ずつ成長しているそうです。
さらに別視点では、これまでのITやデジタル技術は視覚や聴覚を中心に発展してきていて、嗅覚はまだまだイノベーションが起こりやすい領域だといえます。僕は4Kと8Kの映像を見比べても違いは分からないのですが、それくらい人間の知覚できる限界の領域に、香りの世界はまだ到達していません。そこで、嗅覚ベースの新しい価値を生み出すことが出来るのではないかと考えたんです。
——実際の開発で苦労された点はどんなところですか?
金子さん:やはりいちばん苦労したのは、どうすればユーザーが嗅覚という新しい体験を楽しむことができるのかという点です。「KAORIUM」は、言語によって漠然とした嗅覚の捉え方の解像度を高めてあげるシステムなのですが、この「言語」に着目したのがブレイクスルーで、それまでにはいろいろ葛藤しながら試行錯誤していましたね。
——なぜ言葉に着目したのですか?
金子さん:言葉には知覚を支援する働きがあります。音楽に言葉を乗せると歌になるし、絵に言葉を載せると漫画になる。だから香りと言葉が結びつけば、これまでにない体験が作れるのではないかと考えました。
ただ実際にやってみると言葉はかなり繊細で難しく、特に英語や中国語など外国語版では当初ネイティブスピーカーの反応があまり良くなかったんですよね。というのも、日本語とは言葉の持つ意味や範囲が違うので、例えば「高貴な」という意味を持つような言葉を選んでも、香りの持つイメージを表現しきれないということがありました。でも地道な改善を重ねていくと外国語でも高い評価をいただくことができたので、僕たちがやろうとしていることは間違っていない、言葉は人間の認知を高める可能性を持っているというのを確信しましたね。
好みの味や気分から、AIが最適なお酒をアドバイス
——「KAORIUM for Sake & Wine」の特徴を教えてください。
金子さん:一言で言うと、レストランやバー、居酒屋でお酒選びのお困りごとを解決する新しいマーケティングツールです。AIは、ソムリエでも表現が難しいお酒の風味を言葉で可視化します。ユーザーが好みの味わいやなりたい気分に合った言葉を選んでいくことで、AIが人の風味の感じ方を取り入れたAIがぴったりのお酒を提案してくれます。利き酒師やソムリエがいなくても、同様の接客体験が提供可能になるというのが大きな特徴です。
——「KAORIUM」はどういった内容を学習しているのですか?
金子さん:日本酒やワインの監修を務めている利き酒師やソムリエの方に協力をお願いして、ある1つの香りに対して感じた言葉をデータとして集め、それに対応するインターネット上の膨大な言語表現と一緒にインプットさせています。なので、タブレット画面に表示されるキーワードや質問は小説や漫画、アニメなどによくある表現で修飾されていて、ぱっと理解しやすい言葉になっています。
——すでに店頭やイベントで活躍していると思いますが、どんなところが受け入れられていますか?
金子さん:接客体験が少ない店舗や、ソムリエや専門スタッフが常駐していない場所でも、「KAORIUM」を使うことで、まるでプロが案内しているかのようなサービスを提供できる点が好評です。例えば、ある銘柄を飲んだ時の味わいを表すキーワードを教えてくれる、逆に「さらりとした」のような味わいを表現する言葉から逆引きでお酒を探すことは、本来訓練されたプロでないとできない難しいこと。それをAIでできるという気軽さは、お店にとってもお客様にとっても大きなメリットとなっています。
「KAORIUM for Sake & Wine」に関しては国内500店舗に導入いただいていて、飲食店だけでなく、小売店でもご活用いただいています。
——すでに500店舗。それだけ業界からの期待値も高いのかなと思いますが、金子さんとしては、飲食店や小売店に対して、どんなインパクトを与えられたと思いますか?
金子さん:私たちの役割は、香りを媒介とする日本酒やワインの作り手、送り手さんたちと、飲む人たちを繋げることだと思っていて、今までにない香りの体験を購買シーンや消費シーンに実装していくことで、結果的に業界への貢献につながると考えています。
具体的に「KAORIUM」が与えるインパクトというのは、ブランドや価格ではなく、風味や香りといった商品固有の魅力を言語によって引き出すことができるところです。これまで注文する機会のなかった銘柄を楽しむきっかけになったり、自分の好みを言語によって把握することで、より一層日本酒やワインを好きになってもらう機会にもなるのではないかと思っています。
それともうひとつ。普段使いの居酒屋であれば好きな飲み物を選ぶことが多いかと思うのですが、誰かが設けてくれた特別な機会や、わざわざ選んで訪れるような場所では、やっぱりこれが美味しいですよっていうオススメが料理にも飲み物にもあるかと思います。そういうものを楽しむことで、今度は家族を連れてこようとか、あの人に紹介したら喜ぶだろうなっていう体験につながっていくものだと思うんですよね。いわば飲食業界がもともと持っている価値観や豊かさです。「KAORIUM」には、これをもっともっと増幅して多くの人に届けられるポテンシャルがあると思っています。このサービスを通じて、従来の概念にはないような行動変容を世の中に起こしていくことができれば嬉しいです。
作り手と消費者をつなぐ架け橋に
——今後の展望はどのようにお考えですか?
金子さん:僕らが取り組んでいるのは、香りと言語の互換性を高めていくことです。これを発揮できる領域は、お酒やフレグランスだけに限らず、香りがあるものなら何でも応用が利くものだと思います。そして、そのように「KAORIUM」が活躍する場を増やすことは、その香りにどんな言葉を感じているかという膨大なデータを蓄積していくことでもあるので、そのデータを活用した商品開発やマーケティングというのも可能性があると考えています。風味や香りをより楽しめる仕掛け作りを通じて、協業パートナーの方々の事業価値も高めていけるようなものを作っていきたいと思っています。
それから、フレグランス向けの「KAORIUM」では実はすでに欧州の展示会にも出展をし、今年5月に英国での営業支点も立ち上げています。「KAORIUM for Sake & Wine」の方でも今後は海外のマーケットにも挑戦していきたいですね。
——ちなみに、酒蔵やワイナリーなど作り手さんたちの反応はどうですか?
金子さん:地酒をプロモーションしたいという自治体や酒蔵からの依頼では、自治体が運営するショップや海外向けの展示会で「KAORIUM」を使っていただいている実績はあり、意外と良い反応をいただいています。なぜ意外かというと、酒蔵さんは彼らが大事にしているブランドの味を、自分たちではない第三者によって評価されることに対して、きっとネガティブな感情が一定程度あると思っていたからです。彼らが定義するブランドの味というのは、そのまま出荷の判断基準になるわけですから。でも、今のところそういったご意見をいただいたことはなくて、逆によくお伺いするのは、「一般の消費者がどう感じているのかを僕らは知りたい」ということなんです。
そういった意味では、「KAORIUM」の作り手と消費者をつなぐという機能的な側面がより重視されているのかなと感じています。世の中って、まだまだ経済合理性が強くて、ECサイトでウイスキーや日本酒を買おうというときには、どうしても価格が判断基準の上位にくるわけですよね。そうなると、売れる銘柄をたくさん売らないとビジネスにならないという商社的な考えになっていくかと思うのですが、僕らがやろうとしていることは多分その逆で、経済合理性の影に隠れたいろんな酒蔵さんのいろんな銘柄を消費者の方とつないでいくことなんです。商品選択の優先順位の中で「自分がどう感じるか」ということが、もっと重視される世の中になっていくと、すごく豊かなことだなと思います。
潜在的な価値観を呼び起こす、情動的な体験を作っていきたい
——昨今のAIの進化について、金子さんはどう感じていますか?
金子さん:僕たち人間が取り扱っている知的作業を代替するものとして、これからAIはもっといろんなイノベーションを起こしていくんだろうと思っています。いよいよ人間の仕事のだいたいのことがAIに置き換わる世の中が迫っているというのはとても刺激的です。ただ一方で、まだまだ人間にしかできないことがあると僕は考えています。
いわゆる機械学習に代表されるようなものは、人間が培ってきた過去の経緯とかロジックに基づいたもので、そこから生まれてくるものを待つだけでは、僕らが日々計算されたマーケティングによって出来上がったアウトプットに魅力を感じないように、あまり人間が魅力を感じないものばかりが生み出される世の中になっていくという気がしているんです。だから、特にテクノロジーサイエンスやクリエイティブの領域では、AIと人間が共同したほうが面白いものを生み出していけると思うんですよね。
僕らがやりたいのは、人の持っている新しい価値観とか、言語化出来ていない価値観をもう一回呼び覚ましてあげて、AIの力を借りて社会実装していくということ。そういうプロセスを作っていきたいんです。
——未来の暮らしのなかでは、食を含めた娯楽はどんな風になっていくことを期待していますか?
金子さん:少し漠然としているかもしれないんですけど、未来と言われると、やはり子どもの頃に見たSF映画に出てくるような情景を想像するんですよね。AIによって交通が最適化されて渋滞が起こらない、IoTが本格実装されてドアノブに触れなくても車や家に入れる、AIエアコンが電気料を最適化してくれるみたいな、いわゆる便利でミニマルなライフスタイル。
そういった世界では、きっと娯楽もデジタル化されていくと思うんです。現実でもすでに仮想空間の中で畑を耕して作った農作物を売り買いしながら生活しているような人たちが存在していますけど、そういうことが当たり前になった世の中に、知覚体験によって情動的な価値を体現する娯楽が今と同じようにあるのだとしたら、多分今よりももっと豊かで尊い存在になっていると思うんです。時代が進めば進むほどその傾向が強くなっていくと想像すると、「KAORIUM」のような情動的な価値に基づいたサービスというのは、やっぱりいいなとしみじみ感じるんですよね。なので、僕らはこれからもブレずに、新しい価値を世の中に示していきたいと思っています。
SCENTMATIC株式会社 執行役員 金子量さん
1984年生まれ。東京都出身。立教大学文学部心理学科卒業。2007年より事業会社にて、事業戦略、ブランドマーケティング、法人営業等に従事。2023年よりSCENTMATIC株式会社に参画。SCENTMATIC株式会社 執行役員(現職)。