私たちの生活に欠かせない存在となったAI。そのAIを使うために「プライベートなデータ」をクラウドに送ることに対して、不安を抱くひとも少なくないはずです。「自分の病気のデータを分析してほしいけれど、外部に漏れるのは怖い」「社外秘の情報を取り込んで分析したいけれど、セキュリティが心配」。そうしたジレンマを、より高度なセキュリティレベルで解決する次世代の技術が、完全準同型暗号「TFHE(Fully Homomorphic Encryption over the Torus)」。データを「暗号化して鍵をかけたまま、中身を見ずに計算ができる」という、まるで魔法のような技術です。
この難解な技術分野において、株式会社アクセルは国内企業・機関で「特許登録件数 No.1(※)」を達成しました。その快挙の裏には、コロナ禍のTwitter(現X)からはじまった、ふたりの天才エンジニアの物語がありました。
※2025年12月1日時点 株式会社アクセル調べ
コロナ禍の「空き時間」が引き合わせた出会い
プロジェクトを牽引するのは、アクセルの研究開発職である星月優佑(以下:星月)と、京都大学大学院の研究者である松岡航太郎氏(以下:松岡氏)。彼らはともに、IPA(独立行政法人 情報処理推進機構)が実施する、突出したIT人材を発掘する「未踏事業」の出身クリエーター。いわば、国が認めた“とがった才能”を持つふたりです。
最先端のセキュリティ技術というと、企業のトップダウンではじまった堅苦しいプロジェクトを想像するかもしれません。しかし、ふたりの共同研究のきっかけは意外なものでした。
星月:「ことの発端は、コロナ禍の緊急事態宣言の頃でした。ゴールデンウィークが延長されたことで時間ができたので、以前から気になっていた『準同型暗号』の論文を読み始めたんです。
でも、読んでみてもなかなか難しく『何言ってるかわかんねーな』と、当時のTwitterでぼやいたんですね。そうしたら、リプライで色いろと解説してくれたのが松岡さんだったんです(笑)」
松岡氏:「僕は当時、京都大学でこの技術を知って『暗号のまま計算できるなんて、すごいプロセッサが作れるぞ』と興奮して研究していました。星月さんが呟いているのを見て、『それはこういうことですよ』と話しかけたのがはじまりですが、まさかこんなことになるとはと、自分でも驚いています」

「中身を見ずに計算する」ことの難しさと可能性
そもそもなぜ、この完全準同型暗号「TFHE」が注目を集めているのでしょうか。金庫に例えると、通常の暗号化は、金庫にそのままデータを入れるようなもの。計算や編集をするためには、一度金庫を開けなければなりません。しかし、いくら金庫のセキュリティが硬くても、金庫を開けた瞬間にウイルスやハッカーなどに中身を盗み見られる、といったリスクも生じます。
対してTFHEは、「金庫に入れたまま、外から金庫を振ってなかのデータを加工する」ような技術です。中身を誰にも知られることはありません。ただし、これには弱点があります。「計算にとてつもない時間がかかる」のです。
松岡氏:「通常なら『もしデータがAならBの処理を、そうでなければCの処理をする』とプログラムを書きます。しかし、TFHEではデータの中身が暗号化されているため、それがAなのかどうかも分からないんです。
条件分岐ができない以上、どうするのかというと、『全ての可能性のルートを計算する』しかありません。BのルートもCのルートも両方計算して、後で正しい方だけが残るように合成する。無駄な計算も含めて全部実行しないといけないので、どうしても処理が重くなる。高度な暗号化を実現するためには、どうしても避けられない壁なんです」

星月:「暗号化したまま計算できるのは素晴らしいのですが、そのままでは遅すぎて使い物になりません。特に、AIの推論には複雑な計算が必要となるため、いかに高速化し、効率化するかが最大の課題。そこで私たちは、AIでよく使われる計算処理に特化し、処理を軽くする工夫を重ねました」
“未踏”出身のふたりが挑む、世界を変えるイノベーション
彼らの開発スタイルは非常にユニークで、大学で理論を突き詰める松岡氏と、企業(アクセル)で「どうすれば製品として動くか」を直感的に捉える星月。このふたりの化学反応が、他社には真似できないスピードで特許技術を生み出すこととなりました。
いくつかの方法を模索するなかで、あるとき、計算コストを劇的に下げるための「4ビット除算」という特殊な手法を星月氏が提案。高速に計算できることは確認できるものの、その手順、特に謎のテーブルがどこから導かれたのかが把握できないというこの手法が、新たな道を切り開くこととなります。

松岡氏:「ある手法について学会で発表したとき、『どうやってこれを思いついたんですか?』と質問されたことがありました。正直、大学で研究している僕ひとりだったら、この発想には至らなかったと思います。星月さんが『こうやったらできるんじゃない?』とアイデアを出してきて、僕が理論的に実装する。ふとしたときに、星月さんに『なんでこれ思いついたんですか?』って聞いたら……」
星月:「『やってみたらできた』って答えました(笑)。理屈はもちろん大事ですが、まずは動かしてみる。プログラミングの直感というか、『この処理はいらないんじゃないか』『ここはもっとサボれるはずだ』という勘所は、長年の開発経験が生きていると思います」
目指すのは、誰もが安全にAIを使える未来
アクセルが今回取得した数かずの特許は、TFHEを実用化するための「高速化」や「効率化」に関する核心的な技術です。まだ世界中で研究段階にあるこの技術ですが、ふたりはその先にある未来を明確に見据えています。
星月:「夢を語っていいなら、将来的には当社のAI製品『アイリア』の裏側に、この技術を統合したいです。ユーザーがAIモデルにデータを投げると、裏側では勝手に暗号化された状態で処理が進んで、結果だけが返ってくる。アクセラレータ ASICから推論エンジンまでを一気通貫で開発できるというのも、他社にはできない、アクセルならではの強みですから。ユーザーはセキュリティの難しいことを意識しなくても、安全にAIを使える。そんな世界を作りたいと思っています」
アクセル社にはこの構想を実現する、他社にはない大きな武器があります。それは、同社がLSI(半導体)メーカーであるという点。そして、世界最速レベルの推論エンジンの開発を背景に持ち、用途にあわせた固有の最適化ができるという高度なコンピューティング技術を兼ね備えていること。それらを駆使し、ソフトウェアの工夫だけでは限界がある「速度の壁」を、専用のチップを作ることで突破しようとしています。

松岡氏:「ソフトウェアでのアルゴリズム改善も重要ですが、本当の意味で実用的な速度を出すには、専用のハードウェア(FPGAやASIC)を作る必要があります。チップ設計ができるアクセルなら、それが実現可能です。将来的には専用ハードウェアの開発や実証実験まで視野に入れ、世界と戦える技術基盤を作っていきたいですね」
現状、この分野は防衛や医療など特殊な分野での利用が先行していますが、技術的なハードルが下がれば、もっと身近な企業やサービスでも使えるようになります。『日本でTFHEといえばアクセル』と言われるように、ふたりの挑戦はこれからも続きます。
【用語解説】
・TFHE(完全準同型暗号):暗号化したデータを元の状態に戻す(復号する)ことなく、そのまま計算処理ができる暗号技術のこと。
・ 未踏事業: 経済産業省所管のIPA(情報処理推進機構)が実施する、突出したIT人材を発掘・育成する事業。ここから多くの起業家や研究者が輩出されている。
(写真左)
株式会社アクセル 研究開発職
星月優佑(ほしづき ゆうすけ)
筑波大学を3年次で飛び級(早期卒業)し、同大学院へ進学。2004年「未踏事業」に当時最年少(高校生)で採択される。アクセル入社後は、持ち前の数学的センスを活かし、最先端アルゴリズムの実装・最適化を主導。
(写真右)
京都大学大学院博士後期課程
松岡 航太郎(まつおか こうたろう)氏
高度な暗号理論の研究に従事する現役の研究者。2019年「未踏事業」において、特に優れた成果を修めたとしてスーパークリエータ(※)に認定。アカデミアの深い知見を産業応用へ繋げるべく、アクセルとの共同研究に参画。
※未踏IT人材発掘・育成事業において、特に優れた能力を持つと認定されたクリエータ。











